伝統家屋、窓、そして、木漏れ日。
石原邸には「窓」という概念がしっくりしません。窓らしき部分はありますが、現代の家の窓のように、それによって外がクリアに見えるまま密閉性を上げられているという状態が存在しません。
一昨年、トリエンナーレの会場として借りていただきました。作品の保護等のために、トリエンナーレ主催者が北側の道路側に設えてある格子部分に風除けといったらいいでしょうか、アクリル板を取り付けたいということで、建物に傷のつかない形でなら、というお約束でやっていただきました。反対側の南側は庭で、木も多いため風が強く吹き込むこともありませんので、そちらは創建当時のまま、障子を開ければ完全なオープンとなります。
暖房で温めた室内、そこに冬の柔らかな陽の光が入り込んでくる・・そんな光景はなんともほっこりするものですが、ここ石原邸の場合は全く違います。
伝統家屋は「夏を持って宗とする」作りなのだと父がよく私に言いました。木戸を開け、障子を開け放てば、風が通ります。暑い時期は汗ばんだ皮膚に風が当たると、なんとも優しい涼を感じるものです。電気や電化製品の発達する前の時代には、現代におけるものとは全く違う季節ごとの過ごし方をしていました。
気温が下がってくると、室内も外とほぼ変わらない空気感になります。そこに差し込む陽光に対して感じるものは現代の家をは全く違います。太陽の有り難みを深く感じます。江戸や明治において、裕福なご隠居さんくらいがそんな余裕のある時間を楽しめるものでしょうが、縁側や畳に差し込んでくる木漏れ日は見飽きないものです。まさに、自然が描くムービングアート。とはいえ、私もそんな風にゆっくりしていられないのですが、一瞬でも手を止め、自然の作り出す形や動きに目を留めるひとときは、私にとっては最高の心和むひとときです。

一昨年、トリエンナーレの会場として借りていただきました。作品の保護等のために、トリエンナーレ主催者が北側の道路側に設えてある格子部分に風除けといったらいいでしょうか、アクリル板を取り付けたいということで、建物に傷のつかない形でなら、というお約束でやっていただきました。反対側の南側は庭で、木も多いため風が強く吹き込むこともありませんので、そちらは創建当時のまま、障子を開ければ完全なオープンとなります。
暖房で温めた室内、そこに冬の柔らかな陽の光が入り込んでくる・・そんな光景はなんともほっこりするものですが、ここ石原邸の場合は全く違います。
伝統家屋は「夏を持って宗とする」作りなのだと父がよく私に言いました。木戸を開け、障子を開け放てば、風が通ります。暑い時期は汗ばんだ皮膚に風が当たると、なんとも優しい涼を感じるものです。電気や電化製品の発達する前の時代には、現代におけるものとは全く違う季節ごとの過ごし方をしていました。
気温が下がってくると、室内も外とほぼ変わらない空気感になります。そこに差し込む陽光に対して感じるものは現代の家をは全く違います。太陽の有り難みを深く感じます。江戸や明治において、裕福なご隠居さんくらいがそんな余裕のある時間を楽しめるものでしょうが、縁側や畳に差し込んでくる木漏れ日は見飽きないものです。まさに、自然が描くムービングアート。とはいえ、私もそんな風にゆっくりしていられないのですが、一瞬でも手を止め、自然の作り出す形や動きに目を留めるひとときは、私にとっては最高の心和むひとときです。

Posted by 大辻織絵
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