ブーログ › 【石原邸会議室】大志を抱くビジネスマンのための貸し会議室 岡崎市

2019年09月05日 01:21  

使用人さんの話。

*諸般の事情がございまして、ただいま、施設レンタルを中止いたしております。
甚だ勝手を申しますが、どうかご了承くださいませ。


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浅い知識ではありますが、あの頃の生活に思い巡らせてみますと、当時の生活はとても手のかかるものだったろうと想像します。
朝、窓を開けるだけでも、現代の家とは全く違います。炊事、掃除においてもやり方が全く違い、現代の生活より手間暇が必要でした。

石原家でも何人もの女中さんや下男さんを置いており、母屋の土間の奥に小部屋があり、そこで寝起きしてもらっていたようです。親たちから話を聞くところによれば、土間の奥のその部屋はが真ん中で区切られているのですが、何か男女関係の問題があって、二つに分けたのだということでした。

明治になって、彼らのための住まいが庭の奥に作られました。
母屋より少し小さめでしたが、作りは凝ったもので、私の目には、どこかで見た文豪の実家だとか、商家の別宅とか言った風に映りました。


お金を稼ぐための仕事をするまえに、生活そのものを成り立たせるためだけに手がかかった・・
それなりの大きな家で生活し、美しく維持することは、そういう手伝ってくださる方なくしては絶対に無理だったのだろうなと思わざるを得ません・・  


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2019年04月08日 14:11  

土間修復のご報告。

前回の投稿でちらりとお伝えしました母家の土間の修繕が完了しています。



急激に乾かぬよう覆いをかけてじっくり寝かせて、ようやく踏んでよいようになりました。





焼き物のような肌ですね。

時折水撒きをして湿度を与えてやるのが良いのだそうです。


修繕前は水撒きをして箒で掃くとどんどんと砂が削れてきてしまいました。
水撒きはするものだよねと思いながらやっていたのですが、そんな風だったので、工務店さんに改めて水撒きの要不要を確認。やはりそうしてください、と。

人間の肌と同じで、適度な湿潤さは必要なものなのですね。


ライブなどで機材を置いていると、歩き回るだけでも微細に砂埃があがっていたようでした。
機械の基盤に入ってしまったりして、気を遣いましたが、もうそんなことはなくて、ほんとうにありがたいです。





  


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2019年04月04日 11:42  カテゴリ:石原邸会議室について

【石原邸会議室】オープン日延期について。

石原邸会議室のオープン日のお知らせが延び延びになっており、
たいへん申し訳ございません。

たいへん勝手を申しますが、諸般の事情により、施設レンタルそのものを中止させていただいております。
まことに畏れ入りますが、どうかご了承くださいませ。



  


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2019年02月02日 01:18  

瓦土塀の続き。④

「瓦土塀の続き。③」からの続きです。


こちらが2基のうちの一つが完成したところ。



左下に見える石碑についてのお話です。


屋根瓦葺替えに際して出た古い瓦や土を使って瓦土塀を作り、門周りを整えるという庭師さんと私の考えに、当時、ともに石原邸所有者であった私の父は珍しくすんなりと賛同してくれました。色々とぶつかることの多かった父なのですが、この時はとてもすんなりと。

石原邸を建てた石原東十郎さんはもちろん、たくさんの人々のおかげがあって、石原邸はいまにこの姿をとどめているのですが、昭和55年頃、昭和風に改装してあった石原邸を江戸時代さながらの姿に復元したのは私の父でした。

瓦土塀を作るについては、創建当時の古い瓦や土を無駄にしないという考え方や、数百年先まで持つものだ、というとても遠大な計画をとてもおもしろがってくれました。

施工してくださった庭師さんが提案してくださり、父の名前や言葉などを残してはどうかと。
そこで、病を得てたが不自由になった父でしたが、
80歳を過ぎた父はこんな言葉を書いてくれました。
父は、28歳から岡崎市で産院を営み、2万例以上の赤ちゃんを取り上げさせていただきました。




自分に連なる全ての人に、
大自然に、
そしてこの宇宙に
感謝!

平成26年吉日
吉村 正
  
タグ :吉村正


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2019年01月27日 10:34  

門構え。②

前回の瓦土塀の投稿の続きです。
その際、遠景を載せておりませんでした。



門周りの話題は、こちらの門構えのお話しから入ったのですが、そういえば、右手に見えるこの門についてお話ししてなかったですよね。


この門は、実はこの家が創建された時にはないもので、昭和55年頃、復元の折に新しく作ったものです。その頃まだ伝統工法で家を建てられる大工さんがたくさんおられました。伝統的な建築物を建てるための人材も材料も今ほど希少ではなかったでしょう。腕の良い職人といい材料で作られたこの門は、40年近く経って、江戸創建の建物ともしっくりをあっています。

ちなみに、
昭和40年くらいの青焼きの図面を見たことがありますが、門の周辺には別に建屋があったと記憶しています。その図面に門が載っていたかどうか、今度探して調べてみますが、こうした門を江戸時代に商家が作ってよかったのでしょうか?
お詳しい方がいらしたら逆に教えていただきたいです。
明治に入ると、町人だ、武家だ、という区別がなくなって、建築様式に縛りもなくなったようですが。

・・・ざっと調べてみましたら、豪商の家には門のあるお宅もあるようですね。



何はともあれ、門は建物群の入り口として成立しているけれど、駐車場が不可欠ないまの時代、敷地全体の入り口が曖昧だとの庭師さんのご意見から、左手に瓦土塀を建てることになりました。もちろん、母屋の屋根葺き替えで古い瓦や土が大量に出た、ということは一番のスタート地点だったのですが。


建物というものは、時代とともに変化する生活習慣とともに、変化を余儀なくされるものです。
余儀なくと言っておりますが、後ろ向きに捉えているのではありません。
時代考証的な観点で見ますと、ここっておかしいね、という造りが各所にあります。
でも、時代時代に生活した人の工夫の積み重ねの結果だと私は思っています。

そんなことを感じていただけるようなお伝えをしていくのも、おもしろいことなのかもしれませんですね。
  


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2019年01月23日 19:45  

国登録有形文化財 特別公開企画 文化財の音景vol.4「親子について」④ 「こんな発想はいかがでしょう?」

毎年秋に文化財ならではの企画として、一般の方に無料で建物内をご覧いただける無料公開企画を催しています。

2018年版は、共に石原邸の所有者であった父が亡くなった後ということもあり、「親子について」というテーマといたしました。




こちらはその企画のメインとなる空間演出「血脈」に寄せて」。


真ん中の大きな枝の作品「血脈」は石原邸とも私達親子ともお付き合いの深かった花作家 森直子さんの作品。
北海道の森林で見つけた大きな枝を、持ち帰って汚れや腐った皮など丁寧にきれいに取り除いていくうち、まるで骨のようにも見え、また、親族家族の血脈を表しているようにも見えてきたのだそうです。制作当時は赤い実のついた蔓を巻きつけた形が完成の姿でしたが、今回、すべて取り払って展示することとなりました。
彼女も、父が亡くなる少し前にお父様を送られていて、それ以外にも大きな変化をいくつも経験されていました。そうして越えてきてみると、蔓の装飾も全く不要に感じたとのこと。

この作品を、石原邸の北西いちばん奥の仏間の中心に浮かんだように展示したいというアイデアがこの「親子について」の企画の始まりでした。

畳の間に、このような枝の作品・・

石原邸は、ほぼ全てが、木や植物でできています。
この部屋がこのように設えられたのは創建以来初めてだと思われますが、幅広い年齢層お客様方からとてもしっくりと感じられたとのお声をいただきました。

一見合わなさそうなもの同士も、こんなにしっくりとし、皆様の目にもそのように感じていただけて本当に良かったです。


この空間展示について是非また次回にも。  


Posted by 大辻織絵 │コメント(0)

2019年01月20日 21:26  

瓦土塀の続き。③

前回投稿の続きです。


手前側の土塀が完成したところです。



練り上げられた土であるとか焼きしめられた瓦が材料であることで密度濃く感じるからか、重厚な存在感があります。
高さとしては150センチ弱のそんなに大きなものではないのですが、もっと大きく感じます。



こちらが前回投稿の、石組みの上に瓦を敷き始めた頃。




手前の土塀が建って、こんな感じになりました。




奥から見るとこんな感じです。


今は奥の土塀が立っていますので、もうこんなふうに見ることはできません。
建築途中の様子をもっと撮っておけばよかったです。


石原邸創建当時からあると誤解されてしまう恐れがありそうなほど、
新たに作ったものとは思えない、こなれた雰囲気ですね。



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「石原邸会議室の価値」
http://ishiharatei.boo-log.com/e465699.html
  


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2019年01月18日 12:00  

最も多くの方の目に触れているであろう、石原邸の姿。

長いタイトルになりましたが・・

こちらは石原邸を西北西側から見たところの姿です。



電柱、電柱の看板、ゴミステーション、舗装された道路、銅製の雨樋、石組みの上に建ててある柵、ぜんぶなくしてイメージしてみましょうか・・

さらに、
左面の縁石から道路白線のあたりに水路が通っているイメージをしてみましょう。


水が勢いよく流れる音がして来ました。
路から建物に入るために、水路に石の橋を掛けてみます。

石の橋を渡って、お客様や石原家の人々が出たり入ったりしています。
人々が路を行き交っています・・・



創建当時、燃料店、米穀店を営み、庄屋もしていた頃の石原邸はそんな様子だったと聞いています。


旧東海道から、あるいは、岡崎城の方角からおいでになって見えてくる石原邸の姿は、
今イメージしていただいたものと当たらずとも遠からずだと思います。

旧東海道からの石原邸へのアクセスは徒歩5分ほど。創建当時、そこそこ賑わいのある場所だったようですよ。この辺りは城下町というより、門前町だったと聞いています。
昔は近隣の二つ三つのお寺のお坊さま、安寿さまが法事ごとにお参りに来てくださっていました。


このアングルで撮られた古い写真が岡崎市史に載っていました。
こちらでお見せ出来るように探してみますね。




◆ ◆ ◆

石原邸会議室の価値
↓↓↓
http://ishiharatei.boo-log.com/e465699.html  


Posted by 大辻織絵 │コメント(0)

2019年01月16日 23:20  

瓦土塀の続き。②

前回投稿から続きまして・・


練り混ぜ、練り混ぜして粘性のついた土を、石組みの上に乗せ、そしてまた瓦、そして土、瓦、土、瓦・・・と、かさを少しづつ上げていきます。
もっと寄りの写真を撮らないでしまったので、わかりにくいかもしれませんが。



ちょっとミルフィールみたいですね。



庭師さんもひたすら反復作業です。

瓦土塀作りは、しっかり指揮の執れる親方がいれば、あとは素人でもお手伝いができるもののだそうので、やってみたい方やお子さん達を募るもの手かなと考えつつも実現しませんでしたが、庭師さん方の美意識、こだわりが存分に発揮されます!




作業をしているとご近所の方が声をかけてくださいます。


これからひたすら、瓦、土、瓦、土・・・を繰り返して完成を目指していくのです・・・



  


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2019年01月15日 22:56  

瓦土塀の続き。

前々回の投稿に続きまして。

土台の上に、瓦と練り直した土を積み上げていくのですが・・



このブルーシートの中に、母屋の屋根から下ろした土が保存してあるのですが、
こちらに使用済み食用油を練り混ぜていきます。
前々回の投稿の写真にも写っておりましたこのブルーシートの小山。




こんな風に<フネ>と呼ばれる大きなトレイにような容れ物の中に土を油を入れ、足で踏んで練っていきます。体重を使っていかないと、仕事にならない!とてつもなく重いのです!
長靴に思いきり吸い付いてきます。

私もやろうとしましたが、一度踏みこむと足を上げるのに何十秒もかかる・・いや足を上げること自体できずにおっとっとと転びそうになる、もう全く邪魔をしているに等しかったです。
ほんの、ほんのちょっとだけ、体験させていただいたくらいのものでしたが、男性陣のお力の素晴らしさを思い知りました。



ひたすら練り混ぜます。



ひたすら・・練り、混ぜ。



練り、混ぜ・・・
  


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