2018年12月29日 22:27  

庭の苔。

雪が降りました。
皆さまの地域はだいじょうぶでしょうか。

雪なのに、逆に緑のものの話しをと。
かえって肌寒い趣にならないといいのですが。


◇ ◆ ◇


苔植物がブームになったことがあったが、まだその熱は続いているのだろうか。

石原邸の庭にも苔が生えている。

昨日から冷え込みが深まったが、そんな中でも、苔が疎らではあるが、緑が鮮やかになっているのが見てとれた。




暖かい時期は、波平さんの頭を思わせるような感じで、芽のような細い茎の先にポチっとしたものが頭を垂れるようにしたものが立ち上がってくる。胞子体とか言うらしい。
こちらはこの春の石原邸の庭の苔。





そして、この寒いなかまだ立ち上がっている芽のようなもの。
胞子体がはじけた後なのか、そうであるなら、それがいつのものだったのかわからないが、象の背中の毛のように。





昔、理科の授業で習って、なんだか印象に残っている話しだが、火山の爆発後、一番早くいつくのが植物だということだったし、そもそも、地球に現れた初めての生きものがしばらくしてはじめたのが光合成だと聞く。

植物の力はゆっくりと、とても力強く、寒さにも負けていない。






こんなにひそやかで、しかし、年中私たちの気持ちを和ませてくれる苔は、石原邸の大切な力のひとつだ。  
タグ :古民家


Posted by 大辻織絵 │コメント(0)

2018年12月29日 00:36  

国登録有形文化財 特別公開企画 文化財の音景vol.4「親子について」③ 六畳間の意匠に気づく。

石原邸、主屋中程に位置する六畳間。
この一間は、奥の八畳の仏間と商家だった頃は土間からお客をあげ商談をしたのであろう八畳間に挟まれている。何に使われたのかも想像がつかず、なんとなく添え物のような、影の薄い一間だと思っていた。
けれど、今回の企画で、外光のふんだんには入らない暗めのこの一間が、実はものすごく凝った部屋だったと気づかせられた。


撮影:花作家 森直子氏。左奥の花作品を生けられた。


土間から上がってきて、奥の木戸を開けると、目の前にこんな光景が広がる。
正面の建具が、すべて縦のみの格子で、物入れの戸もまた縦のみの格子。



格子の部分に漆が施してあるので、縦の線がより強調される。
この裏面は襖の仕立てになっており、このタイプの建具は奥の主人の間にも使われている。
漆を施したことにより、昼間も外光を反射するし、夜はろうそくやひょうそくの明かりでツヤが際立つ。


この椿の作品がここに鎮座することによって、この部屋の魅力に気づかせてもらった。
なぜこんなに洒落た趣向を凝らしたのか、その訳は謎のままだが。


◇ ◆ ◇

こちらにてこの椿の作品についても書いております。よろしければ、ご覧ください。  


Posted by 大辻織絵 │コメント(0)

2018年12月27日 21:28  

土間の修復3

昨日、土間の施工が終わった。




近代的なやり方だが、ビニールの覆いを掛けている。
母屋の中の土間は本三和土にしたので、じっくりゆっくりと乾かしていかなくてはいけないのだそうだ。

とはいえ、ただ覆いをして寝かせておけばいいというものではなく、時折水をかけてやらねばならないのだそうだ。
いくら養生をしておいても、湿度の低いこの季節は、乾きやすい。

養生をめくってみると、なんとも言えない素朴な匂いがする。
焼き物の土のような、山から採ってきた粘土のような、。



三和土の肌がまるで焼き物のようだ。
どこかの骨董市で父が買ってきて大事にしていた、土器の肌がこんな感じだった・・



できれば、叩いている時に来たかったが、ちょうどその期間が都合がつかず。
近所のおばさんが、ウチまでパンパン叩く音が聞こえて来たよ、と。三和土{タタキ}とはまさに「叩き」だなと思わされる。叩いて叩いて、土を絞めていく。


土間の施工は、理想的には冬以外の季節にするのが良いと聞いた。夏の方が湿度の状態が三和土にはよく、乾き方が自然にやんわり進むだろう。石原邸もそのようにはしたかったのだが、本三和土にするか三和土風にするかで私の決心に時間が掛かってしまったことと、この秋の台風続きで職人さんがお忙しかったこともあり、11月の企画の後すぐ施工に入りましょう、ということになったのだ。




竃も完全に新品!
昭和50年代半ばにこの家を復元した時から数えれば、40年振りの姿か。

土間も、こうした竃も、建材も、一度壊してしまったら、もう戻すことはできない。江戸時代とほぼ変わらない生活様式から完全に変わって、草履から地面の硬さに負けない硬いソールの靴を履くようになり、雑巾掛けをしなくなって、建材のツヤもあの頃のようなツヤは望むべくもなく、竃を使って炊事をしなくなって、煤が材に付かなくなった今、意識的にあの頃のような手の掛け方をしていくことはなかなかのことだ。もっといえば、経済のあり方が劇的に変化して、お金の概念も変わり、時間の概念も別世界になり、生き方が格段に変化した。
日本のどこかに、江戸時代のような生活をなさっているすごい方もいらっしゃるかもしれないが。

土間は直したいと思ったが、いい感じで煤けた姿はもう戻せないと思うと竃の方を直すのは躊躇われた。が、この先のことを考えて、思い切った。


この養生が取れたら、どんな感じになっているだろう。
会議室オープンの前に、竃に火を入れてみたい。
  


Posted by 大辻織絵 │コメント(0)

2018年12月26日 20:57  

国登録有形文化財 特別公開企画 文化財の音景vol.4「親子について」②遅ればせながら「聖なるリース」

今日は26日。今年もあと少し。
今更すぎるお話しだけれど、クリスマスとは25日の朝までを差すのだとほんのいま知った。
世の中知らないことばかりだ。

クリスマスはもうすっかり去ってしまったが、欧米では一月の第何週目かまではクリスマスシーズンだとかでツリーを飾る習慣だったはずなので、遅まきながら、クリスマスに少しだけ関係するお話しを。


石原邸での秋の企画「親子について」では、会期の三日目に針葉樹の枝のみで作るリースの会を企画した。




共に展示制作をさせていただいた花作家森直子さん直々の指導で、シンプル、かつ、本格的な、グリーンのグラデーションの美しいリース作りに取り組んだ。



材料はクジャクヒバ、ヒムロスギ、そして、ブルーバードという三種の針葉樹。
それぞれに色合い、手触り、香りが違うが、手触りがふわふわで、香りのよいものを中心に直子さんが材料を選んでくださった。



スッとする香りと優しい手触り、そして寄りあつまってする手仕事の雰囲気に、みんなそれぞれに夢中だった。うまい下手は関係ないんだなとやりながらわからせてもらえる。みんな大満足の素晴らしい講習会だった。



手作りのものは作り手の性格や雰囲気が如実に現れる。できあがれば、あとは好みで飾りつけをするもよし、しかし、そのままでとても美しい。



たぶん、この古民家にリースというものが飾られたのは創建以来初なのではないか。
少なくとも、創建当時の普請帳にもしっかり描かれていたこの五葉松にリースがぶら下げられたのは初めてだろう。

不思議に溶け込んでいる感じがするのは、すべてがグリーンだからか‥



翌月クリスマスを控えている時期なので、せっかくなら‥とこのリースを作る会を打ち出させていただいた。

クリスマスシーズンにリースを飾る起源はしらないのだが、「円」という始まりも終わりもないかたちに植物を整列させていく在り方は、いかにも「聖なる」という雰囲気。
作り方もまさに、そういう感じで作っていくのだ。

「聖なる円」を植物の命を使って自らの手で、五感を総動員させながら作りあげていくプロセスは、自然に、簡単に、いつの間にか「リース作りの講習会」というものを越えている。
「親子について」という、連綿と生命が継がれていく中心のとなる関係に想いを馳せる企画にもぴったりだった。



森直子さん著「くらしの花レシピ」の針葉樹のみのリースの作り方のページ


ぜひ来年も、クリスマスに向けてこのような機会をご用意させて頂きたいと考えております。
  


Posted by 大辻織絵 │コメント(0)

2018年12月25日 20:48  

石原家の紋②

前回に引き続き、石原家の紋のおはなし。

丸に二つ引きの紋を私はあまり好きにはなれなかった。前の投稿にも書いたけれど、花や植物やものの形など具象的なものの門の方がいいのに、と思っていた。
紋は先祖から連綿と継がれてくるもので、好き嫌いの問題ではないのだが。

石原家は女系の家だった。母の代では確か、人ほどの子どもがすべて女性で、一人だけ嫁がなかった長姉の大伯母が結果的に石原家の家を継いだ形となった。
大伯母は独り身を貫き、子どももいなかったためか、早く亡くなった妹の娘ーそれが私の母なのだがーを実の娘のように大事にしてくれていたそうだ。
もう一人、嫁いだが子どものできなかった大伯母がおり、彼女も母を実の娘のように可愛がってくれた。

母が亡くなったあと遺品の整理をしていて、明らかに母のものではないかなり時代を感じさせる着物がいくつか出てきた。そのなかに黒留め袖があり、模様の入り方が昨今よく見るものとは違って、渋いながらも艶[あで]やかさがあった。
父が亡くなり、実家の整理をしていて、仕舞ってあったその黒留め袖が出てきた。もちろんのことだが、その黒留袖には紋がついていて、母に石原家の女紋についてはっきり確認したことがないのだけれど、これが石原家の女紋だと思われる。この着物が出てきた時、具象的な模様の紋を羨ましく思っていた私にはとても魅力的に映ったこともこの黒留め袖を取っておいた理由だったと思う。




これが大伯母の黒留め袖に染め抜いてあった紋。片喰[かたばみ]紋という。古来から人気があり、平安、鎌倉時代から文様としてはよく用いられていたが、戦国時代に紋として長宗我部氏や宇喜多氏などの戦国武将に愛用されはじめたようだ。




こちらが実際のかたばみ。片喰紋は葉をほとんどそのまま模したように見える。こちらのように黄色や、他にはピンクの可愛らしい花をつけるが、荒地や畑、道端に元気に群生する強い繁殖力がある。それもあって、子孫繁栄を願って紋様や紋として使われたと言われている。
  


Posted by 大辻織絵 │コメント(0)

2018年12月24日 14:29  

石原家の紋

「石原邸会議室の価値」の最後に書いた石原家の紋のお話をこちらに移して、加筆させていただきます。

◇ ◆ ◇

石原家の紋は丸に二の字(丸に二つ引きとも呼ぶそうです)。今川家、毛利家もこの紋で、足利将軍家の流れを汲むという説も聞いたことがある。

横の二つ引きはそれぞれ、昼と夜を表すとも言われ、「一日中」「何時も」という意味なのだと聞いた。また、丸の中の線は二本共に龍だとする説もある。丸に二の字でなく、三の字の紋もあり、この場合、昼と夜ともう一つを龍とする説もある。どうもはっきりはわからないが、昔の人々が自分の家をよく象徴しようとして、家の繁栄を願う縁起のよい形としようとして創意工夫をこらした跡がうかがえる。
(主君や主などから名字や紋を褒美などとして頂戴し、失礼のないよう、新たな意味を加味しようと工夫を凝らしたという話しも聞く。)



<創建当時の当主が被ったであろう編笠に付けられた金色の紋>


石原家の紋が、「一日中」「何時も」を丸に二の字が表しているとして、その「絶え間ない感じ」で先祖はどんな想いを込めたのだろう。
頂いたそのままにしたのだろうか。



石原家の丸に二の字の紋は、あまりにもシンプルすぎて見え、植物や生き物やものの形の入っている紋を羨ましく思っていた。
だが、紋について知っていくと、観方感じ方も少しづつ変わってくる。この、円と直線のみのシンプルさが素晴らしいものに感じられてくる。「以上!」と完結させる決然とした力のようなものが感じられてくる。


<土蔵の屋根の葺替え時に間近で見られた漆喰で作られた石原家の紋。新たに作り直したもの。>


夫の家の紋は「丸に毬挟み[まりばさみ]」。紋というより、現代のブランドロゴのようなモダンな紋だ・・否!そういえば、現代の某ハイブランドのブランドロゴは、実はパリ万博で見た日本の家紋からインスパイアされて作ったものだと聞いたことがある。西洋の文化が日本の文化に刺激されて、現代、目にするデザインはそのように存在しているのかもしれない。

話が反れたが‥
蹴鞠[けまり]-何人かで毬をリフティングするような、古来の貴族の遊び-のための毬を挟んでおくものがモデルとなっていると聞く。丸に二の字の紋より幾何学的で、円型がこれでもかというくらいに多用されていておもしろい。


<丸に鞠挟み紋/画像検索から拝借したので実際の紋と少し違う。>


父の家の紋は伝えられていないが、母の実家(石原家)の紋も夫の紋に共通点を見つけられるのは嬉しいことだ。
興味深いことに、今の私たちは年がら年中、掃除と片付けばかりしている。夫の父母も周りの人々のために片付けや掃除をしてきた人たちだ。
今の時代は、過去から続いてきたものから取捨選択して、次代に良い形で伝えていく、という潮流が起こっている感じがするし、ひょっとしたら、両家ともが、そういう運命にあるのかもしれない。  


Posted by 大辻織絵 │コメント(0)

2018年12月22日 08:05  

障子の明かり。太陽が勝手に調整してくれる照明器具②

前回はこのテーマで石原邸の障子を取り上げたが、今回は実家の障子も。




実家の父の部屋の障子。木漏れ日が障子に当たるのだ。シルエットが動くから、一種の映像作品だ。派手ではないが、ここにすでにプロジェクションマッピングの原型があると言ってもいいかもしれない。父の枕元に飾った梅と菊のシルエットと相まって一枚の屏風絵のよう。




ある有名な茶室だったと思う。いろいろな雰囲気の障子が並んで、ちょっとした障子のテーマパーク?見本市みたいだなと思った。障子の場所、大きさ、桟の切り方、隣の障子との離れ方、紙の選び方等々。「障子」と一口に言ってもそれらのバランスで部屋の雰囲気を自由に調整できる。



再び、石原邸の障子。これは奥の仏間の腰高の窓の障子。障子を通して入ってくる外光と格子を通して入ってくる外光。障子を開けている時と締めている時ではまったく雰囲気が変わる。
ちなみに、金の屏風は現代の家に置くととてもきらびやかで、派手すぎるように感じることがある。金屏風の元々の成り立ちは、電気のない時代、外光を部屋の奥まで引き入れるためだとどこかで聞いたことがある。
また、夜は行灯やろうそくを使うとき、きっと晴れやかな席などでは、金屏風を置くことによって、仄かな光源でも反射させて、空間を少しでも明るく演出することができる。

そんな風に部屋の奥で浮かび上がる金色は、電気の光を使う今と違って、現象的に非常に辺りを明るく照らすほどではないかもしれないが、気持ちをふんわりとほころばせるかのように照らしてくれる。
  


Posted by 大辻織絵 │コメント(0)

2018年12月21日 10:12  

障子の明かり。太陽が勝手に調整してくれる照明器具。

11月の催し「親子について」の写真をこちらで公開しています。
・・・https://www.orieotsuji.com/催し/2018-11-17-20-文化財の音景vol-4/




北側道路に面する障子。昼間のうちでも障子を透して来る光はとても優しい。天候の具合であかりの雰囲気も変わる。少しうつむき加減の時、ぱあーっと明るい時、さまざま‥




同じ北側道路に面する障子を開けたところ。障子と格子のコントラストがいい。内側にある障子も、淡くではあるが外光を受け止めてくれる。障子が白だからこそこうなる。




こちらは南側庭に面する板の間の障子。
上記企画「親子について」の制作のため、泊まり込んだ。翌朝、鳥が嬉しそうに囀っていた。
外の爽やかさが障子を通しても感じられる。
ぽちぽちとついた花柄は、破れたところを花などの形の障子紙で補修したところ。現代人の私には、補修跡すら可愛く感じる。補修跡が全くないもの美しいが、あるのもまたそれはそれで味わいがある。
水屋箪笥の浮かび上がる雰囲気もいい。


現在、石原邸は土間の修復中。
「石原邸会議室」オープンまでには、障子張り替えたいと考えています。  


Posted by 大辻織絵 │コメント(0)

2018年12月16日 13:47  

土間の修復②

土間の修復に入って十日程、覗きに行くと犬走りの施工が終わっていました。



なんとピシッとしたことでしょう!



時を経て、風雨に晒され踏まれてきた土間の陰影に富んだ味わいはまことに捨てがたいものがあります。
しかし、旧くなった土間は、原料が砂や土です。風化してくると風でもちょっと踏むだけでもたやすく取れ、箒で掃こうものならどんどんと剥がれていってしまいます。粒子がとても細かいのでかんたんに舞い上がってしまいます。

窓のことを前のブログで書きましたが、そんな造りの家ですので、掃除するそばから砂ぼこりが落ちてきます。女中さん下男さんみえたころは雑巾がけは常のことだったのでありましょう。だからこそ、材が途轍もなくつるつるになっていたりするということもあるのでしょうが。

その降り積もる粒子がどこから来るのかは厳密にはわかりませんが、家の中の土間、犬走り、井戸館などの古い土間で取れた土や砂なのだろうとはかねがね思っておりました。



犬走りは三和土風の施工を選択しました。全て、本三和土にすべきか相当迷いましたが、外側は風雨に晒されますので、現代の技術を利用することにしました。


この家をお預かりする身の我々の考え方としては、昔ながらの伝統的ありようを維持することもさることながら、人類が日々進化させてきている技術というものの恩恵を頂かない手はないと考えております。
一例として、3年前に行った主屋の瓦の葺替えにも瓦の下に防水材を使用していただきましたし、過去白蟻が食べたような壊れの部分には薬剤を使っていただいています。また、部分的に替える必要のある部材を古色仕上げにする場合も現代の塗料を使っています。


土間施工を考える際、土間を三和土風施工にすると歴史的建築としての価値が下がるとの意見をいただきました。私自身も、長年親しんできた本三和土の土間の雰囲気はなかなか手放しがたいものがあります。

バランスを考え、中は本三和土、外は三和土風としました。




中の土間のハツリがはじまりました。
竈がありますので、竈も新品仕上げになります。
どのような雰囲気になるでしょう。

健康寿命という言葉が一般的になったいま、我々が自分の体をメンテナンスするのと同じく、建物もそうしてあげることは健康寿命を高める秘訣なのでしょうね。



  


Posted by 大辻織絵 │コメント(0)

2018年12月15日 02:04  

土間の修復①

11月30日より石原邸は三和土の修復がはじまりました。
今年は主屋の中の土間と主屋周り犬走りを直しています。

犬走りからハツリがはじまりました。
ハツリといっても元が三和土ですので、コンクリートをハツるのとは訳が違いそうです。
残念ながらその現場には居合わせられませんでしたが、犬走りがハツられた石原邸の姿は初めて見ました。


主屋南側、庭に面する側の犬走り。


前の写真から振り向いた反対側のようす。



こちらは道路に面している北側の犬走り。

舗装される前は道路の方へ土留めの石がせりだしていたのだろうと推察される状態です。
舗装するとき、正式な境界を定めるかして、土留めの石をカットしたのでしょう。


聞くところによると、この辺りは道に沿って水路があったと聞きます。大戸(お店の表玄関だった大きな引き戸)のまえに石の橋がかかっていたとか。その水を敷地内に引き込んでいたそうで、庭の中の水路がその名残りを今に残しています、


石組みというのはいいものですね。
タイルを並べたのとは全く趣が違います。

その辺りの写真はまたの機会にでも。  
タグ :文化財


Posted by 大辻織絵 │コメント(0)